石川県に移り住む理由『移住の切掛』を胸に約2年間を過ごし、
先日ようやく前に進み出そう!ということになりました。
先日ようやく前に進み出そう!ということになりました。
以下は私が2年前の5月に書いたブログ記事です。
移住の切掛
http://kanazawadiary.work/archives/16929235.html
転居するまでの15年以上もの間、
何か大切な話をしたり、冠婚葬祭や法事などが開かれるたびに
私たち夫婦は大阪から片道5時間以上もの時間をかけて義実家へ訪問していました。
そして都会ならありがちな日帰り帰省や近隣ホテル泊の帰省は許されることなく
毎回何泊も義実家の空いている部屋に滞在していました。
大きな家の多い地方などでは当たり前のことですが、都会だと義実家への宿泊なんて誰もしないですし、
みんな日帰り帰省もあまり積極的とは言えない、と思います。
あえてどちらか一方、もしくはお互いの実家の近くにマンションを購入して
子供の面倒を見てもらうのが大前提のお宅だったら実家との往復は頻繁にありますが、それはまた別の話です。
転居後は義実家まで日帰りで往復できる距離となったので
夫の兄弟姉妹があえて宿泊を伴う訪問をする場合でも、我が家だけは特別なことのないかぎりは日帰りで訪問しています。
今回は義母(主人の母)がまだ若さ≒体力が残っている=1人でどこにでも遊びに行ける体力があるうちに
今まで暮らしてきた不便な場所=義母にとっての婚家=主人の実家から転居して、
車を運転することなく公共の交通機関などを利用して遊びに出かけたり、
食事や旅行や通院に出かけられるような場所に転居させなければいけない!ということを目的とした話し合いをつい最近、親族で行ってきました。
基本的に私は部外者=血縁者ではないのでその場にいましたが書記役でノートPCに記録したり、
進行が止まったときに少し手を差し伸べるオブザーバー的な役割を担ってきました。
なぜ、今の今まで2年間も問題を放置していたのか?というと、
私たち夫婦とそれ以外の人間では時間軸の感覚が大幅にズレているからです。
『また近いうちにみんなで集まった時にでも・・・』
こんな言葉を鵜呑みにしていたら何年経っても解決しないので今回は我が家主導で集合して話し合いました。
しかし、参加した人たちがみんな自分の都合の良いことばかりしか発言せず、
肝心の義母の気持ちを最初に汲まないことになんだかとてもがっかりしました。
これまでも子育てなどでおんぶに抱っこ、自分自身のことでもおんぶにだっこで義母と接してきた人たちが
今なおまだ母親に何をいったい頼らなければいけないのか?といった感じで
我が家以外はほぼ何かしらの援助などを受けたり、ちょっとありえないのです。
そういった帰省による寄生からも一定の距離を開けるためにも
義実家を処分して新しい世界を義母に楽しんでもらったほうが良いと思っています。
また、健康上の理由からも車の運転は控えてくださるように…と何年も前からお願いしているのですが、
今の不便な場所での生活には車が必須アイテムであり、ライフラインでもあります。
この状況を打破させるには、ということで色んな知恵を絞りまくって提案してきました。
今のまま我が家主導でこれらの事を進めることができた上で義母本人も従ってもらえれば割と早めに解決出来るかと思います。
このように解決の方向に動くまで実は2年どころか10年ほどの時間を要しています。
義父が亡くなった際に義実家をどうするのか?
義父母で営んでいる商売をどうするのか?
といった問題にぶつかったとき、
我が家以外の兄弟姉妹はこぞって「実家を無くさないで!」と懇願してきました。
転勤族などでもなく、親と一緒に転居した経験がない兄弟姉妹にとって親が引っ越したり、実家がなくなることは
私には想像できない何らかの感情があるのだとは思いますが、
現実的に義母ひとりで交通の便の悪い暮らしをずっと続けるには限界がありました。
結果として当時1番遠く離れた場所に暮らす私たち夫婦の意見は尊重されることなく、
あくまでも身近な場所や日帰り可能な距離に暮らす他の兄弟姉妹の意見が優先されて今に至ります。
さて、なぜ我が家が主導で?ということですが、
義母にとってはあくまでも婚家という場所は自分の家という認識がないらしいのです。
家の名義が義母の名義になっていたとしても「私はよその人間だから。」と繰り返します。
なので長男である主人に矛先が向いてしまっているのが現実です。
その家の血縁者、しかも田舎だから長男教。
他の兄弟姉妹がいても長男一家に割と重要なことが降りかかってくる感じですが、
鈍感力と血縁者ではない感情による仕分けを行ってなんとか義母の新しい暮らしを積極的に進めていく予定。
・・・あくまでも予定。
移住の切掛
http://kanazawadiary.work/archives/16929235.html
転居するまでの15年以上もの間、
何か大切な話をしたり、冠婚葬祭や法事などが開かれるたびに
私たち夫婦は大阪から片道5時間以上もの時間をかけて義実家へ訪問していました。
そして都会ならありがちな日帰り帰省や近隣ホテル泊の帰省は許されることなく
毎回何泊も義実家の空いている部屋に滞在していました。
大きな家の多い地方などでは当たり前のことですが、都会だと義実家への宿泊なんて誰もしないですし、
みんな日帰り帰省もあまり積極的とは言えない、と思います。
あえてどちらか一方、もしくはお互いの実家の近くにマンションを購入して
子供の面倒を見てもらうのが大前提のお宅だったら実家との往復は頻繁にありますが、それはまた別の話です。
転居後は義実家まで日帰りで往復できる距離となったので
夫の兄弟姉妹があえて宿泊を伴う訪問をする場合でも、我が家だけは特別なことのないかぎりは日帰りで訪問しています。
今回は義母(主人の母)がまだ若さ≒体力が残っている=1人でどこにでも遊びに行ける体力があるうちに
今まで暮らしてきた不便な場所=義母にとっての婚家=主人の実家から転居して、
車を運転することなく公共の交通機関などを利用して遊びに出かけたり、
食事や旅行や通院に出かけられるような場所に転居させなければいけない!ということを目的とした話し合いをつい最近、親族で行ってきました。
基本的に私は部外者=血縁者ではないのでその場にいましたが書記役でノートPCに記録したり、
進行が止まったときに少し手を差し伸べるオブザーバー的な役割を担ってきました。
なぜ、今の今まで2年間も問題を放置していたのか?というと、
私たち夫婦とそれ以外の人間では時間軸の感覚が大幅にズレているからです。
『また近いうちにみんなで集まった時にでも・・・』
こんな言葉を鵜呑みにしていたら何年経っても解決しないので今回は我が家主導で集合して話し合いました。
しかし、参加した人たちがみんな自分の都合の良いことばかりしか発言せず、
肝心の義母の気持ちを最初に汲まないことになんだかとてもがっかりしました。
これまでも子育てなどでおんぶに抱っこ、自分自身のことでもおんぶにだっこで義母と接してきた人たちが
今なおまだ母親に何をいったい頼らなければいけないのか?といった感じで
我が家以外はほぼ何かしらの援助などを受けたり、ちょっとありえないのです。
そういった帰省による寄生からも一定の距離を開けるためにも
義実家を処分して新しい世界を義母に楽しんでもらったほうが良いと思っています。
また、健康上の理由からも車の運転は控えてくださるように…と何年も前からお願いしているのですが、
今の不便な場所での生活には車が必須アイテムであり、ライフラインでもあります。
この状況を打破させるには、ということで色んな知恵を絞りまくって提案してきました。
今のまま我が家主導でこれらの事を進めることができた上で義母本人も従ってもらえれば割と早めに解決出来るかと思います。
このように解決の方向に動くまで実は2年どころか10年ほどの時間を要しています。
義父が亡くなった際に義実家をどうするのか?
義父母で営んでいる商売をどうするのか?
といった問題にぶつかったとき、
我が家以外の兄弟姉妹はこぞって「実家を無くさないで!」と懇願してきました。
転勤族などでもなく、親と一緒に転居した経験がない兄弟姉妹にとって親が引っ越したり、実家がなくなることは
私には想像できない何らかの感情があるのだとは思いますが、
現実的に義母ひとりで交通の便の悪い暮らしをずっと続けるには限界がありました。
結果として当時1番遠く離れた場所に暮らす私たち夫婦の意見は尊重されることなく、
あくまでも身近な場所や日帰り可能な距離に暮らす他の兄弟姉妹の意見が優先されて今に至ります。
さて、なぜ我が家が主導で?ということですが、
義母にとってはあくまでも婚家という場所は自分の家という認識がないらしいのです。
家の名義が義母の名義になっていたとしても「私はよその人間だから。」と繰り返します。
なので長男である主人に矛先が向いてしまっているのが現実です。
その家の血縁者、しかも田舎だから長男教。
他の兄弟姉妹がいても長男一家に割と重要なことが降りかかってくる感じですが、
鈍感力と血縁者ではない感情による仕分けを行ってなんとか義母の新しい暮らしを積極的に進めていく予定。
・・・あくまでも予定。