つい先日まで3週間ほど渡米していました。
渡米に際して我が家の愛犬たちとお留守番いただくため、(仕事として)夫側の親戚に色々と依頼しました。
あまりにも久しぶりにちゃんと話す相手でしたが、斜め上や斜め下やあちこちからの話が盛りだくさんすぎてせっかくの、4年ぶりの海外旅行に水を差された気分で実はどんよりとした気持ちで日本を発ちました。
毎日生きていれば少しぐらいは何かがあるでしょうし、
仕事をしていれば、人付き合いがあれば、何らかのトラブルだったり楽しいこともあるでしょう。
そういった小さな積み重ねが今日の自分であることは当たり前な話です。
会って30分も経たないうちに
最近栄養失調になった、40歳を超えた子供にまだ脛を齧られている、子供達が次々と離婚、交通事故に遭った、大病を患っている、お金が無いからお肉を買えない、働けないし借金が増えたからお金を(我が家から)借りようかなぁ、お金が無い、お金が無い・・・など。
我が家が直接無心されたわけではありませんが、親戚たちと会った日の会食費は誰も財布を出す素振りすらしてくれずその全てが我が家の負担でした。
こんな話ばかりを聞かされてしまい、旅行の最終的なパッキング作業を終えていないうちにどっぷりと疲れ果てました。
親戚のほとんどが自ら抱えたトラブルを改善しようと思わず、ただお互いに愚痴を言い合って解決する事を避けているようでした。
以前からも我が家の持ち出しによるお祝いやお見舞いなど数えきれないくらいに色々とありましたがお互い様の精神は誰にも無くて何ひとつ返って来ないのも何だかどうかしていると思っています。
あまりの不幸すぎる話に私もつい我慢できなくて、
京都にある有名な縁切り神社や金運に恵まれる神社を紹介しましたがさらっと流されてしまいました。
いつまでも不幸でいる自分が好きな人たちなのだと、そう解釈するように何とか思うようにしています。
しかし、
生活に支障が出るほどまでに、普通の生活がままならない人たちなのに
なぜそれほどまでに普通でいることへの希望を持たないのか?
誰かに頼りっぱなしの人生を不思議だと思わないのか?
どのような他人と関わるのか?
人生におけるメンターの存在はあるのか?
他人との価値観の擦り合わせをどう考えるのか?
自分自身の社会的な立ち位置は?
今の生き方について客観的にどう思うのか?
社会とのつながりは?
家族間でのコミュニケーションの取り方は?
家庭内での甘やかしや外部での人との関わり、教育の大切さへの意識など、
何十年にもわたり社会性において欠けている部分はもう補えないと思うので、
なるべくこちらへ何も被害が来ないように、
最低限の事だけをやるべきであると痛感しました。
結局は私たち夫婦が休暇に入ることなどを良いことだと捉えてもらう事が無いのだからこそ
不躾に、遠慮なく、ネガティブな話題ばかりを何時間も聞かされてしまったんだろうなぁと思います。
人生ってもっと楽しいものだと思うけれどね。
と、簡単に書きますが、
若いうちにきちんと学んで努力して嫌な事からもなるべく逃げずに頑張り失敗を恐れないことを続けなければならないのです。
毎回誰かの手助けによる生ぬるい生き方しか選べない事は自分のためにはならないからです。
あまりにも久しぶりにちゃんと話す相手でしたが、斜め上や斜め下やあちこちからの話が盛りだくさんすぎてせっかくの、4年ぶりの海外旅行に水を差された気分で実はどんよりとした気持ちで日本を発ちました。
毎日生きていれば少しぐらいは何かがあるでしょうし、
仕事をしていれば、人付き合いがあれば、何らかのトラブルだったり楽しいこともあるでしょう。
そういった小さな積み重ねが今日の自分であることは当たり前な話です。
会って30分も経たないうちに
最近栄養失調になった、40歳を超えた子供にまだ脛を齧られている、子供達が次々と離婚、交通事故に遭った、大病を患っている、お金が無いからお肉を買えない、働けないし借金が増えたからお金を(我が家から)借りようかなぁ、お金が無い、お金が無い・・・など。
我が家が直接無心されたわけではありませんが、親戚たちと会った日の会食費は誰も財布を出す素振りすらしてくれずその全てが我が家の負担でした。
こんな話ばかりを聞かされてしまい、旅行の最終的なパッキング作業を終えていないうちにどっぷりと疲れ果てました。
親戚のほとんどが自ら抱えたトラブルを改善しようと思わず、ただお互いに愚痴を言い合って解決する事を避けているようでした。
以前からも我が家の持ち出しによるお祝いやお見舞いなど数えきれないくらいに色々とありましたがお互い様の精神は誰にも無くて何ひとつ返って来ないのも何だかどうかしていると思っています。
あまりの不幸すぎる話に私もつい我慢できなくて、
京都にある有名な縁切り神社や金運に恵まれる神社を紹介しましたがさらっと流されてしまいました。
いつまでも不幸でいる自分が好きな人たちなのだと、そう解釈するように何とか思うようにしています。
しかし、
生活に支障が出るほどまでに、普通の生活がままならない人たちなのに
なぜそれほどまでに普通でいることへの希望を持たないのか?
誰かに頼りっぱなしの人生を不思議だと思わないのか?
どのような他人と関わるのか?
人生におけるメンターの存在はあるのか?
他人との価値観の擦り合わせをどう考えるのか?
自分自身の社会的な立ち位置は?
今の生き方について客観的にどう思うのか?
社会とのつながりは?
家族間でのコミュニケーションの取り方は?
家庭内での甘やかしや外部での人との関わり、教育の大切さへの意識など、
何十年にもわたり社会性において欠けている部分はもう補えないと思うので、
なるべくこちらへ何も被害が来ないように、
最低限の事だけをやるべきであると痛感しました。
結局は私たち夫婦が休暇に入ることなどを良いことだと捉えてもらう事が無いのだからこそ
不躾に、遠慮なく、ネガティブな話題ばかりを何時間も聞かされてしまったんだろうなぁと思います。
人生ってもっと楽しいものだと思うけれどね。
と、簡単に書きますが、
若いうちにきちんと学んで努力して嫌な事からもなるべく逃げずに頑張り失敗を恐れないことを続けなければならないのです。
毎回誰かの手助けによる生ぬるい生き方しか選べない事は自分のためにはならないからです。